Kokone-works

好き放題に、「お酒を飲んだ勢いで」。 サークル活動、はじめました。「ここだけネバーランド」というサークルの主催です。 

ラブライブ!サンシャイン!! #7 TOKYO

コミケ疲れの覚書ですがあとでブラッシュアップしていきたいです。暇があればいいのですが。

前回、みずからの郷里についての魅力と向き合ったAquorsがPVの評判をうけて東京のイベントに呼ばれるという話。

だんだん個々のサブプロットが機能しつつある。ルビィとダイヤの妹の姉/姉の妹離れのプロットが強い。
ルビィ「ちゃんとしたイベントで、去年入賞したスクールアイドルもたくさん出るみたい」
この一節。現実でも最近は利益目的のやっつけ運営なひどいアイドルイベントも即売会も増えてるみたいだから、心配かけまいと加えたくなるよね。

姉妹のパートだと、比較的ルビィの目線に高さ合わせたりして寄り添う演出がよく見られる(そのほかにもどちらかというと1年2年にカメラアングルを合わせていますが、後輩たち中心の話だからコンセプト的にあってる)。

千歌「内浦から東京行くなんて一大イベントだよ」
登山の恰好をした花丸。『バグズ・ライフ』のフリックが田舎から都会に出るのにリュック背負って大荷物って恰好してて、都会につくや「田舎者に見られないようにクールに行こう」というギャグがあった。

18きっぱー遠征組おなじみの熱海からのあの9つぐらいある長いトンネル。
そこを抜けての根布川駅通過。本家2期12話でμ'sが解散を誓った場所。μ'sらの郷里を離れた冒険の裏返し。

アキバについた千歌「原宿っていっつもこれだからマジやばいよね~」
嵐の『ピカ☆ンチ』でも主人公たちが17歳になって東京郊外の団地から初めて原宿へ行く、というシーンがあってそこでメンバーが地方感丸出しの恰好をしているのですが、なぜか原宿=田舎者にとって都会の象徴という話をよくみるなあ。 (いや、たぶんコラボショップを置いていた場所つながりなんだけどね) ちなみに僕はブリスターというアメコミショップ、もしくは代々木体育館/NHKホールへ行くのによく利用する駅ですね。

ちょっと気になったのが、背景に思いっきり写実的な室田さんキャラとはかけ離れたリアルの写真トレスな感じの広告があったこと。
トレスはあって当然の技術という認識ですが、いわゆる3次元的な人間の顔の子が作中にいるってこと……?劇場版の水樹奈々さんの広告はどうだったかな……。

アキバのスクールアイドル関連ショップに寝そべりグッズ。女性向け同人誌を見て赤らむ梨子。

神田明神聖地巡礼。階段を走る千歌。「我々もやったこと」。

ご神体の前で歌う二人組。ついにライバル登場!

旅館の夜。音乃木坂に行ってみたいというメンバーたち。梨子だけが拒否する。

「音乃木坂=伝統的に音楽で有名な学校」。確かにそんな設定あった。挫折したピアニストに言わせることでその設定を活かせている。

千歌「「期待に応えなくちゃ。失敗できないぞ。」って」

ラブライブ!の朝トレのシーンは本家から今までの全体通して抜群。本当に好き。

UTXのモニター。千歌「ここで初めて(μ'sを)見たんだ……」
しかしなぜ1話の冒頭で千歌はあの場所にいたんだろう。という疑問が再燃してしまう。

ラブライブ発表。ドーム大会。

メンバーを象徴する白い鳥の群れ。6羽。

あのアナウンサーが再び。「はっちゃけちゃってねー」

神田明神で出会った二人組(Saint Snow)。エンディングのボーカル担当までそのまま持って行ってしまう。てことはA-RISEレベルの扱いではなく、もっと深く物語に関わりを持たせる存在として描かれる?

 

前回の『PVを作ろう』の記事で、Aquorsの郷里に対する姿勢への不満を書きましたが、これが実際伏線になりそうな感じあるんですよね。ライバルキャラに徹底的に蹂躙された彼女らがもう逃げ場がないと思ったとき、郷里に救済され、PVを作ってた時のなりきりではなく、真の意味での大切さに気付く、という方向にもっていくこともできそうな気がするのです。今回比較的痒い所に手が届く感じなので、どうなるか見ものですね。

ラブライブ!サンシャイン!! #6『PVを作ろう』

マリ「果南が好きなのね、ダイヤは」

ヨハネ「普通って大変」
花丸「無理に普通にならなくてもいい」

「(浦の星が)統廃合でなくなるかも」さりげに今回大事なのは、廃校がアイドル活動の出発点やモチベーションではないということでした。「“普通であること”にコンプレックスを抱く女の子」の話。

千歌「音乃木坂と一緒だよ!」
キック・アス』の母親を亡くしたときの主人公か。

「学校を救うために」というカルマにとらわれる。

本家で「人気を上げるため」といういささか弱い(「問題」ではないけど)PV作りの理由が「廃校阻止」というところに直結してる。
本当に本家のシナリオの取りこぼしを補完しようという意思が伝わってくる。

黒沢姉妹の会話。「遅くなるわよ」ダイヤが本当に妹思いなのが伝わってくる。真面目にスクールアイドル部設立に反対してたのは妹にちょっかいだされたから論を提唱・支持したい。

youtuber/ニコ生主「簡単に編集してみたけど、お世辞にも魅力的とは言えないわね」

本家と異なる「専門家」の存在。

日が暮れる前に終バス。さっきのルビィの「日暮れ前に戻りなさい」とのつながり。

みんなが帰ったあとの喫茶店「今気づいた、私この学校が好きなんだ」
ここで挿入するのは不自然な感じがする。PV撮影しててというより、もう少し後になってからでもいいと思うのだ。
もちろん学校のため、という点に着地させたいのはわかるんだけど、TVシリーズにおいて、彼女らの活動と学校(の人間)との関わりが薄く、あまりそういう風には感じられないのだ。

果南とマリ。「力を貸して」「わたしはカナンのストーカーだから」

マリ「本気で……それでこの体たらくですか」「努力の量と結果は比例しません。街の魅力を理解してるかどうかです」

ヨハネ(1年)→千歌(2年)に「なに意地はってんのよ」。さり気にタメ口が公然化されてる。

ダイヤの舞踊。千歌「感動しました!」
舞踊とはそもそも神の踊りをまねたものですね。やっぱり「神様/神のご加護の話」なのである。
――そういえば、たまたま『ブルース・ブラザーズ』を見たのだけど、あれも「神様の天恵で音楽の世界に舞い戻った悪たれ二人がとんとん拍子で修道院を救う」って話でしたね。ていうか、この映画そのものが『ラブライブ!』の元ネタですね。また『ガルパン』の水島努監督が(絵コンテ・演出担当作品に必ずその要素をしのばせるほどに)こよなく愛する一本。

勧誘。ダイヤ「あなたたちの気持ちはうれしく思います」
ダイヤ(三年生組)のかつてスクールアイドルで折れた過去。前にも書いたけど『おジャ魔女どれみ』のぽっぷのピアノのエピソードを想起させるなあ。
なぜ「3年生だけが」妙に距離を置いているかに的確な説明。
ただこの3年生の少し険悪な雰囲気は、作品要素としてはかなりいい感じなので、少し重たくてもいいので、どうして3年生は瓦解したのか、そして1年と2年が同じ道をたどっての、底の底に落ちてからの復活というところを丁寧に突き詰めてくれたらありがたいです。

海開き
梨子「この町ってこんなにたくさん人がいたんだ」

 久方ぶりの挿入歌。

「心の中でずっと叫んでた、「助けて!」って。ここにはなにもないって。でも違ったんだ」「この場所からはじめよう。できるんだ」
ここで解決描写めいたものにされるとうーん……となる。てことは、千歌ちゃんは学校やら周りをとりまく環境がそんなに好きじゃなかった、正直あまり魅力的に感じていなかった上で廃校に浮き足立ったことで。この見せ方だと(どんなに希望の見えたって笑顔でも)、街の魅力を発見というよりは「妥協してる」ふうにも捉えられてしまうので、「学校が好きなんだ」ってセリフに疑問を感じてしまう。
もちろん千歌は(先ほど述べた)『キック・アス』のデイヴみたく、「なりきって」るだけかもしれないし、彼が初めてヒーロー活動を成功させたときと同様に「普通であることのコンプレックス」から解放された(/ている)わけですが、その原因を自分に突き詰めるか、環境につきつめるかで、このシーンの解釈(と視聴後感)が変わってしまうのだ。今回、沼津駅近辺を地元に見せかけようとしたシーンに代表されるように、あまり梨子以外に地元愛というものが見えない構成にした点は(キャラの印象づけとしては)失敗だったと思う。「私が輝けないのは地元のせい」と言ってしまう(作り手もキャラクターも思ってはいないだろうけど、もし結果的にそうなってしまうと)と、いままでの千歌やAquorsの行いが傲慢にみえてしまう。もちろん、3年生のような分解や挫折につなげるとかのシナリオの狙いの可能性もあるので即座にノーとは言えない(この方向につなげたら手のひら返して今回の話絶賛します)。

解決法を示していなかった。尺や予算の問題で厳しいとは思うのですが、Aパートは前作の地続きに「人気がでない」点だけにフォーカスを当てて(廃校のくだりはもうすこしあとに引き伸ばして)、「出来上がったPV」をそのまま見せる/撮ってるビデオカメラの視点で構成すればよかったかも。そうすれば、5人が「(本当に真剣に考えても)わからない」視点を視聴者が共有できる(いやみなく感情移入できる)と思うのです。

 

(追記)2回目・ちょっと友人(今回の話をホメてました。もちろん筆者は今回を絶賛する意見はあってしかるべきと考えています)からの「梨子の観点から見てみたら」というアドバイスをうけて視聴。海開きの様子を見て「これなんじゃないかな」。地元っ子の観点からは気づけない視点を供するキャラとしての存在意義。2話の「海の音」を聞いてから彼女が見つめ続けてきた「色づいた世界」(ぶっちゃけると、視聴者の多くがあの町の見え方に梨子の視点を共有したはずである)。

ただ、物語のテーマ的に、梨子の意見に単によいしょするだけだけでなく、ほかの5人にも、マリのダメ出しのあとに(「聞いちゃダメな気がした」=自分で考えるべき、と千歌に言わせてしまった以上)なにかのアクションが欲しかった気がするのです。ただし、今回と来週で前後編構成になってる可能性がある(5人にとって東京は「特別」である一方、梨子にとっての「色あせた世界」である対比)ので、まだ結論は出せないわけですが……。

 

     

ラブライブ!サンシャイン!!#5「ヨハネ堕天」

※タイトル表記にミスがあったため修正しました。申し訳ないです。

 

すみません、週末は『シン・ゴジラ』見て衝撃を受けて更新が遅れました。怪獣王の日本凱旋にふさわしい大傑作でした。それにしても『シン・ゴジラ』はすごい。今までブレずに空想科学に拘った庵野秀明の真骨頂!……って失礼、これは『ラブライブ!』の記事でした。いや、頼むからあなたが後悔する前に『シン・ゴジラ』見に行ってくださいお願いします。

 

ニコ生っぽいものをやってるヨハネ。確かに『ラブライブ!』の元ネタのひとつにニコ生/youtuber文化ってのは当たり前すぎて忘れてた。

 

ヨハネ高校デビュー失敗から幕を上げる。一方Aquorsは人気獲得のための試行錯誤。
ヨハネが普通になりたいのも天使になりたいのも堕天使を演じるのも、ひとえに「受け入れられたいから」
ことごとく「普通」であることをコンプレックスにしている本作、同期に“あの”なによりも普通でありたかった異常者・吉良吉影大活躍な『ダイヤモンドは砕けない』アニメ版が放送されているのは何かの縁かな。

 

ヨハネがそちらのアルファみたいなもんだった一方でパソコンが使えない花丸。
「こんなに弘法大使空海の情報が!」ある種仏教と切っても切れない関係な話だからねえ。

 

1.ヨハネ恥ずかしくなって不登校→クラスで実は気にもとめられていなかった。
2.ラブライブ!Aquorsイメチェンでランクアップからのランク急落。
この2回は対比であり、ヨハネ自身のアイデンティティを世界から否定される所につながっている。

 

まああれですね。みんなニチアサやウルトラマンやアニメ特撮なんて見なくなっちゃって、自分も交友の一番のネタだったはずがコミュニケーション立ちいかなくなって、孤立しちゃうかそれを恐れてさんざんブンドドしてたおもちゃをすててしまうという、『トイ・ストーリー』シリーズの悲しみに通じる思春期男子の心境にあてはめればいいかなと。「幻想や夢」それじたいはどんな気持ちでいるんだろうね。

 

 「これ本当の自分なのか?天使みたいにキラキラしてたのに何かのはずみにこうなったのでは」

もちろんこれは字義的な意味だけではなく、今だからわりと声高に言えるけど、オタク批判が今なんて比較にならないくらい酷かった十数年前とかだったらまかり間違っても通らなかった話ですね。

飛び抜けた容姿でもない限り、アニメ漫画の話をすれば確実にマイノリティ及びスクールカーストの下に追いやられる暗黒時代を過ごした諸氏は、ヨハネの抱く恐怖とジレンマを理解できるはずである。こぼればなしをすると、筆者の思春期は『電車男』公開時で、この地獄最大のピークであった。いや、思春期真っ只中にAKBをはじめとするアイドルブーム・アニメブームに乗れてる今の子にとってはどうでもいい、キャラが原作と違うと切って捨てられる話か。うらやましい限りである。『ハルヒ』あたりから経済効果が明確化してマスコミがすり寄っていくまで、そんな暗い時代を過ごした人間となれば、人間不信になって精神壊したって仕方ないもんである。

ところで『桐島、部活やめるってよ』の映画版。映研のように、好きなことやってるのが一番楽しいって話がある。でも世の中そうはうまくいかない。個人の世界に浸っていると、あの映画のラストで桐島を失った、カースト上位のバレー部が、カースト下位の映研が楽しく撮ってたゾンビ映画を潰しておきながら図々しく「総ての人間が俺を憐れむべきだ」と言わんばかりに世界で一番不幸そうな顔をしている。といった具合に誰かが茶々を入れてくる。ヨハネもおそらく、自分の大好きな信じたものを捨てようとするぐらい価値観を変えてしまうほどに、中学時代にリアルでいじめに遭ったとか孤立したとか相当な辛酸をなめさせられたのだろう。(まあニコ生でリアルネット双方でいじられまくった可能性もあるけど)

 

あと、庵野秀明の話(前フリ回収)。あのひとほんとにヤマト・ウルトラマンをはじめとする特撮と日本映画大好きでそれで育ってきてて、『エヴァ』に至るまででアニメ界で大いなる下地を作ってからもっと「外」に受けようと思って村上龍の『ラブ&ポップ』撮ったり『彼氏彼女の事情』でアート系や少女漫画もの作ったまではよかったんですが、これまたアート系映画の『式日』で大顰蹙を買って、しばらくのちに彼を育んだ空想科学の贅を凝らした『ヱヴァ』を作り、空想科学の極北たる『シン・ゴジラ』を作って大喝采を浴びているってシンクロがおもしろいです。

そうそう、共同監督の樋口真嗣も同じ感じで、監督業で2006年に東宝・TBS出資で『日本沈没』リメイク版撮りましたね。TV局の要請か、草彅剛と柴咲コウの恋愛を入れなければならなくなったらしく、苦心惨憺考え抜いて、あのヘリポートで草彅剛が死地に赴く直前に柴咲コウを抱けない。というラブシーンが誕生してしまったですね。樋口監督はこれ以外にも多大な制約を強いられ、特撮のカット割り以上に必死で純愛について考えたのに、大衆は「くだらない」と切って捨ててしまった。泣ける話。そんな彼もまたそういう門外漢な恋愛描写を一切排除して今回の『シン・ゴジラ』を作った、というのもまたおもしろいシンクロですね。

 

結論:オタクの存在論についての話ですね。今回は。

「そのままでいいんだよ、自分が好きな姿を見せることがベスト」(俺は受け入れてやるよっていう救済)
ラブライブ!』としては正しい着地点。ただ後半でその「代償」を描くか描かないか(本家が逃げてしまったテーマ)が傑作になるかならないかの分かれ目。

 

あ、あとこれ『シン・ゴジラ』の話ともつながってくるんでちょっとご覧になってほしいんですよ。ちょうど今回のエピソードと同じようなシーンがあるんで(キツメの女性が書類/PCをスライドさせるシーンと今回のゴジラの正体の有力説

 

   


『シン・ゴジラ』予告2

 

ラブライブ!サンシャイン!!#4「ふたりのキモチ」

ラブライブ!』の最も観客の涙を搾り取る要素たる「自分を解放する」話。

 太宰治 お伽草紙(リンク先:青空文庫)を読む花丸。

 『瘤取り』『浦島さん』『かちかち山』(『桃太郎』/諸事情により掲載できず)『舌切り雀』の短編が太宰の解釈により綴られている本で、「評論の骨法」そのものでもある結構大事な本。ちなみに中身はかなりとんがっているのでめちゃくちゃ面白いです。そこに花丸の孤独さが表れていますね。なまりや運動音痴にコンプレックスをもっているあたり、ヘタしたらヨハネよりも……。
 『御伽草子』を読み終えた直後にルビィと出会う。彼女らはおそらく孤独を分かち合ってきた仲である。
 ちなみに太宰といえば、『斜陽』は安田屋旅館で執筆されたものでしたね。

 今回、解放に関しては花丸とルビィに焦点があてられている。ルビィに関してはスクールアイドルと姉妹の関係が密に絡み合ってるあたり、シナリオのブラッシュアップが感じられる。ダイヤさんとマリの関係、体育館に残されたホワイトボードの跡。気になる伏線。

 凛の記事を見る花丸。今回の話のテーマ。「Let it go.」

「ミューズめざして、よーいドン!」といってみんなで階段を登る。山頂=天国で、そこから中のあたりまで降りてきてルビィがダイヤに気持ちをうちあけるのは生まれ変わりのメタファーというのは考えすぎかなあ。(是枝裕和の傑作邦画『歩いても 歩いても』のとあるシーンで思い至る)

   

ラブライブ!サンシャイン!! #3「ファーストステップ」

トリビア:沼津には5DXがある。

 一応本家1期三話「ファーストライブ」に対応する話。
目新しい事をやるより、前作のオマージュや「今、ラブライブをとりまく」状況、シナリオの穴を埋める方向性で下地を強化しようというやり方、私は支持します。

 たとえば、前作でにこの初登場が何故サングラスにマスクなのか、というのがいまひとつわからなかった(あるいは顔バレを避けるためというのであればあまりに単純すぎる)のに対し、ヨハネには高校デビューの失敗(外から身を守るため)という理由づけがなされていたりしますね。最後にマスクをとったのは、たぶん何かを決意したからで、そういうのに心を動かされます。

 ファーストライブ。講堂にちらほら人がいるというのは誇張もなく、なんとも言えないリアルさ。そして集まってくる人。ダイヤの「これは今までのスクールアイドルの努力と町の人の善意があっての成功」というのは、たぶん今のサンシャイン!!支持の状況を表している、という解釈はめからうろこ。だからこそ前作を踏襲した展開がおもしろく映ります。体育館の後ろからロングでステージを捉えるショットがこのエピソードのベストショットです。

 

千歌「奇跡だよ!」「名前決めようとしてるときにこの名前(Aquors)に出会ったの」というのは、ARIAの灯里さんみたいなロマンチストな性格付けですね。ぶっちゃけ人為でなければありがたいところ。

 

 

ラブライブ!サンシャイン!! #2「転校生をつかまえろ!」

 あれ、千歌ちゃんの「変われると思った曲」って「ユメノトビラ」って言ってたけど、1話見るにそれって「START:DASH!!」じゃないの……? キャラの一挙手一投足も1話に比べ単純化されてるのはまずい。ルビィちゃんはかわいいけど半ば動物化されていて逆に個性が失われてる。

 

・一応、梨子の転校の理由とトラウマ(スランプ)克服と千歌の作詞という、創作の如何たるやがメインテーマの回。海に潜ろうとしていた理由が「音を聞くため」。トラウマで想像力を失った人間がもう一度なにかをつかみ、そのうえで誰かに表現の手ほどきを与える話……なんだけど、段取りがものすごい簡素に片づけられるのが惜しい。ところでピアノが弾けなくなるというシークエンスは『おジャ魔女どれみ』でどれみが発表会で最初の音を間違えて泣き出してしまうトラウマを抱えていたことを思い出します。表現という行為は実際「公衆の面前にさらす=毀誉褒貶をダイレクトに受けることになる」ということでものすごい勇気が必要で、出来栄え云々問わず、表現者を尊敬する所以です。

(追記)一応梨子の言う「海の音」ってたぶんわからない人が多いと思うので解説を加えると、これ、サラスヴァーティー(弁才天)さまのご利益のことである。沼津にある浮島沼では、 かつて弁才天さまの信仰が盛んであって、今でもお寺に祀られとります。弁才天様というのは、勝負事や音楽のご利益のある神さんですね。いや、ラブライブって女神さまの話って側面あるから……。

リンク

弁才天 - Wikipedia

浮島沼 - Wikipedia 

 

・ダイヤの「認められないわァ」という理由付けに「μ's/スクールアイドルを実は誰よりも愛しているから」という要素が付加されて、2期のおさらいをクイズ形式でやるとこはおもしろい。バス車中のルビィの目線はなにかワケありげで、ダイヤのスクールアイドルへの情熱と妹の関係にはなにか関わりがあるのかな。ヨハネの自己紹介にものすごく憧れていたあたり、かよちんの話路線そのままでいってしまう可能性もあるけどそれは凡庸すぎるから、ヨハネ周りの話を並行的にすすめつつ掘り下げていってほしい。『中二病でも恋がしたい!』の六花に描写されていたように、彼女の中二病や自己防衛の要素を、ルビィの性格とからめれば、かなりコクのある物語が見られそうな気がするのだ。

 

・演出面。いつもの「暗がりの中=想いを隠している」、というとこはちゃんと踏襲。『ラブライブ』アニメにおける暗がりとは、心の穴なのである。当然光はその対でその闇が晴れるということで、今回は海からの日の光と月の灯。本家1期3話の客席の闇とステージの灯りから続く対比ですね。

 ちゃんと先が気になる作りになっているので、うまくいってほしい。

 

ラブライブ!サンシャイン!! #1「輝きたい!」

 おお。劇場版で絶望してたところだったので大して期待値あげずに臨んだけどちゃんと面白い。よかった……。

 OPの振付が僕今とそれ僕の組み合わせであるところだったり、感情が高ぶると風が吹いたりダンスを始めてるとか、意図的な本歌取りをやろうというのを感じる。本家に寄せながら、これといって特徴のない子を主人公に添えてたり、けっこうメンバーに対して全ての作業をべったり(まあこれはルフィを意識したんだろうけど)だった穂乃果に対して「音楽の勉強したろ」という意地を見せるところに十分差別化/ストーリーとキャラ魅せのブラッシュアップを感じられる。

 生徒会長(イエローバスター。ちなみに中の人は実際にクラシックバレエを習ってた)にいつもの展開で「ノー」を突きつけられるのに、元から「スクールアイドルが嫌い」といわせる前に、先に部員集めしてた千歌に知らず知らずのうちに妹を青ざめさせてしまう、という描写を入れたり、ダイバーの子(果南)が財閥の子(で小原=オハラと……)にイチモツ持ってたり、梨子の転校が理由ありそうなど、勢いまかせだけでなく伏線描写をところどころ入れてるのがいい。ちゃんと先が気になります。「普通の人間だとおもって過ごしてたら歳だけ食っちゃってた」はちょっと泣きそうになった。

 ただ、駄目なところも気になって、なんで冒頭で千歌ちゃんは秋葉にいたのか説明がなかったりする。別にわざわざ秋葉でUDXのモニター……じゃなくても動画配信やラブライブ大会現地参加じゃダメだったんだろうか。というか、このシリーズ、頑なに本大会描写をしないよなあ……それをやると誇張表現としてのミュージカルがやりにくくなるという面はあるんだけどさ。
 一応ラブライブは「オリ曲じゃなきゃダメ」ってレギュレーション設定明かされるのはいいんだけど、基本、(ライブチケ当てて高まれられればいいだけのサルを除いて)みんな知りたいのって審査基準とか、大会の様子だと思うのよ。他のスクールアイドルがただの背景ってのはあんまりでしょ。ドラマ版『ROOKIES』じゃないんだから。

 また、ラストのダンスは「お約束:1」だから必要なんだけど、まだ梨子の入部を取り付けられていないのに一緒に踊ってるというのは、(今後入部という「お約束:2」が待ってるのだとしても)お約束:1描写をするために、お約束:2に足元からめとられたり、というとこが少し無理やり感はあったとも。

 でも面白かったので、たぶん最終回まで継続視聴します。伏線回収、よろしくお願いします。