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Kokone-works

好き放題に、「お酒を飲んだ勢いで」。 サークル活動、はじめました。「ここだけネバーランド」というサークルの主催です。 

進撃の巨人 前篇(樋口真嗣)

設定の変更は、物語が面白くなっていればかまわないでしょう。あのアニメ版を前に原作に忠実に、というのは分が悪すぎるというのもあります。ところで、その改編で、原作の恐怖感を超えていたと思った箇所が一か所だけあったので。 ● 一子の母親であった女が調査兵団に入団して、廃墟と化したウォールマリア農地(追記:ウォールマリアとは言ってませんでしたね……)に兵団とともに戻る。そこで、建物のなかから、おぎゃあ、おぎゃあ、という声を聞き、母親の本能がその足を建物のどこともしれぬ暗がりへと向かわせる。血相を変えて暗闇へ向かう女をエレンが、明かりをもって追いかける。奥へ奥へと進んでいくと、赤ん坊の声が止む。そして壊れた排水溝から水が垂れるじめじめとした屋内で、二人はねばねばとした物体を浴びる。彼らが上を向くと、泣き声の主がいた。――赤ん坊の姿をした巨人が、耳まで裂けた口を開け、「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」とうめき声をあげ、泣き叫び、襲いかかってくる。 ● それまでに舞台挨拶にふんどし一丁で行脚する井口昇とか、コスプレボクサー長嶋☆自演乙☆雄一郎とかの巨人を見てるから、この人たちがハヌマーンみたいに人間をつぶすとかやってる情景を見ておもしろがっていたところにこの落差。ここは原作を超えていたかも。(原作の、というよりは梅図かずおとか永井豪漫画の怖さに近い) ● 一応原作では巨人はもともとは喰われたはずの人間であることが示唆されているけれど、赤ん坊型がでてこなかったのはなぜか。ということを考えると(単に赤ちゃんが喰われる描写がなかっただけかもしれないけど)。 ● 女型の正体がミカサ、大型の正体がシキシマで、流血鬼みたいな「巨人になってみたら、こんな明るい世界だったなんて!」オチになるのだけは避けてほしいところ。映画が夜のシーンばかりだったので思いついてしまった。許してください。特撮はさすが『ガメラ3』を作った男の映画です。煙の描写、重量感、造詣……『ローレライ』で単独監督デビュー以降、樋口真嗣が長編作品として初めて取り組む怪獣映画なのです。キモ入りで作ってるだけあって迫力満点。樋口特撮における大見せ場「炎」の真価は後篇に期待。 ● で、日本映画とハリウッド映画がどうたらこうたらというのがtwitter上のこの映画スタッフ(巨人の特殊造詣(メイクとか)を担当した西村さん)の発言でいろいろ話題になってるけど、それ語るならまず、「歌舞伎と西洋演劇の所作の違い」の話からはじめないといけないから、結構ややこしい話なんだよな。 ● 桜沢ななみのハンジが本当に原作やアニメのハンジがコマやテレビ画面からそのまんま出てきたような演技ですばらしいです。で、本編では長谷川博巳さん演じるシキシマってキャラですが、これ絶対及川光博キャスティングするつもりで作ったキャラではなかろうか。あと、エレンに人妻のおっぱいを触らせるのは町山智浩らしい発想であると思います。 ● なお、現在のPG12の基準はグロ描写において人体の切断面、エロシーンにおいて恥部を直接描写していないこと、と聞いた気がする。ギリギリクリアできてるんだよなあ。 ● ただ、苦言を呈すと、エレン・ミカサ・シキシマをそれぞれアダム・イヴ・サタンの関係、とブログやラジオで言及したうえで、リンゴを放り投げるシーンや、善悪の彼岸のあの有名なフレーズをそのまま口に出すって、これは町山さんが一番嫌っていた類の演出な気がする……。キャラの設定変更はべつにいいんだけど、壁が人間が作ったものであることにされている(原作では巨人が作った可能性が示唆される)こと、移動手段が馬ではなく車になっている(一応巨人に対抗する手段として馬がもっとも効率的であるという設定があるうえ、映画にはテクノロジー批判まで出てくる)ことがなぜなのか後篇でちゃんと説明してもらえるのだろうか。あと、廃墟でミカサの心情をピアノの音色で表現する、というのは、まわりにうようよ巨人がいるのにんなことやって大丈夫かよ、と思ってしまった身でもあるのですよね……。伏線の可能性があるので現状では何とも言えないのですが(追記するかも)