ラブライブ!サンシャイン!! #6『PVを作ろう』
マリ「果南が好きなのね、ダイヤは」
ヨハネ「普通って大変」
花丸「無理に普通にならなくてもいい」
「(浦の星が)統廃合でなくなるかも」さりげに今回大事なのは、廃校がアイドル活動の出発点やモチベーションではないということでした。「“普通であること”にコンプレックスを抱く女の子」の話。
千歌「音乃木坂と一緒だよ!」
『キック・アス』の母親を亡くしたときの主人公か。
「学校を救うために」というカルマにとらわれる。
本家で「人気を上げるため」といういささか弱い(「問題」ではないけど)PV作りの理由が「廃校阻止」というところに直結してる。
本当に本家のシナリオの取りこぼしを補完しようという意思が伝わってくる。
黒沢姉妹の会話。「遅くなるわよ」ダイヤが本当に妹思いなのが伝わってくる。真面目にスクールアイドル部設立に反対してたのは妹にちょっかいだされたから論を提唱・支持したい。
youtuber/ニコ生主「簡単に編集してみたけど、お世辞にも魅力的とは言えないわね」
本家と異なる「専門家」の存在。
日が暮れる前に終バス。さっきのルビィの「日暮れ前に戻りなさい」とのつながり。
みんなが帰ったあとの喫茶店「今気づいた、私この学校が好きなんだ」
ここで挿入するのは不自然な感じがする。PV撮影しててというより、もう少し後になってからでもいいと思うのだ。
もちろん学校のため、という点に着地させたいのはわかるんだけど、TVシリーズにおいて、彼女らの活動と学校(の人間)との関わりが薄く、あまりそういう風には感じられないのだ。
果南とマリ。「力を貸して」「わたしはカナンのストーカーだから」
マリ「本気で……それでこの体たらくですか」「努力の量と結果は比例しません。街の魅力を理解してるかどうかです」
ヨハネ(1年)→千歌(2年)に「なに意地はってんのよ」。さり気にタメ口が公然化されてる。
ダイヤの舞踊。千歌「感動しました!」
舞踊とはそもそも神の踊りをまねたものですね。やっぱり「神様/神のご加護の話」なのである。
――そういえば、たまたま『ブルース・ブラザーズ』を見たのだけど、あれも「神様の天恵で音楽の世界に舞い戻った悪たれ二人がとんとん拍子で修道院を救う」って話でしたね。ていうか、この映画そのものが『ラブライブ!』の元ネタですね。また『ガルパン』の水島努監督が(絵コンテ・演出担当作品に必ずその要素をしのばせるほどに)こよなく愛する一本。
勧誘。ダイヤ「あなたたちの気持ちはうれしく思います」
ダイヤ(三年生組)のかつてスクールアイドルで折れた過去。前にも書いたけど『おジャ魔女どれみ』のぽっぷのピアノのエピソードを想起させるなあ。
なぜ「3年生だけが」妙に距離を置いているかに的確な説明。
ただこの3年生の少し険悪な雰囲気は、作品要素としてはかなりいい感じなので、少し重たくてもいいので、どうして3年生は瓦解したのか、そして1年と2年が同じ道をたどっての、底の底に落ちてからの復活というところを丁寧に突き詰めてくれたらありがたいです。
海開き。
梨子「この町ってこんなにたくさん人がいたんだ」
久方ぶりの挿入歌。
「心の中でずっと叫んでた、「助けて!」って。ここにはなにもないって。でも違ったんだ」「この場所からはじめよう。できるんだ」
ここで解決描写めいたものにされるとうーん……となる。てことは、千歌ちゃんは学校やら周りをとりまく環境がそんなに好きじゃなかった、正直あまり魅力的に感じていなかった上で廃校に浮き足立ったことで。この見せ方だと(どんなに希望の見えたって笑顔でも)、街の魅力を発見というよりは「妥協してる」ふうにも捉えられてしまうので、「学校が好きなんだ」ってセリフに疑問を感じてしまう。
もちろん千歌は(先ほど述べた)『キック・アス』のデイヴみたく、「なりきって」るだけかもしれないし、彼が初めてヒーロー活動を成功させたときと同様に「普通であることのコンプレックス」から解放された(/ている)わけですが、その原因を自分に突き詰めるか、環境につきつめるかで、このシーンの解釈(と視聴後感)が変わってしまうのだ。今回、沼津駅近辺を地元に見せかけようとしたシーンに代表されるように、あまり梨子以外に地元愛というものが見えない構成にした点は(キャラの印象づけとしては)失敗だったと思う。「私が輝けないのは地元のせい」と言ってしまう(作り手もキャラクターも思ってはいないだろうけど、もし結果的にそうなってしまうと)と、いままでの千歌やAquorsの行いが傲慢にみえてしまう。もちろん、3年生のような分解や挫折につなげるとかのシナリオの狙いの可能性もあるので即座にノーとは言えない(この方向につなげたら手のひら返して今回の話絶賛します)。
解決法を示していなかった。尺や予算の問題で厳しいとは思うのですが、Aパートは前作の地続きに「人気がでない」点だけにフォーカスを当てて(廃校のくだりはもうすこしあとに引き伸ばして)、「出来上がったPV」をそのまま見せる/撮ってるビデオカメラの視点で構成すればよかったかも。そうすれば、5人が「(本当に真剣に考えても)わからない」視点を視聴者が共有できる(いやみなく感情移入できる)と思うのです。
(追記)2回目・ちょっと友人(今回の話をホメてました。もちろん筆者は今回を絶賛する意見はあってしかるべきと考えています)からの「梨子の観点から見てみたら」というアドバイスをうけて視聴。海開きの様子を見て「これなんじゃないかな」。地元っ子の観点からは気づけない視点を供するキャラとしての存在意義。2話の「海の音」を聞いてから彼女が見つめ続けてきた「色づいた世界」(ぶっちゃけると、視聴者の多くがあの町の見え方に梨子の視点を共有したはずである)。
ただ、物語のテーマ的に、梨子の意見に単によいしょするだけだけでなく、ほかの5人にも、マリのダメ出しのあとに(「聞いちゃダメな気がした」=自分で考えるべき、と千歌に言わせてしまった以上)なにかのアクションが欲しかった気がするのです。ただし、今回と来週で前後編構成になってる可能性がある(5人にとって東京は「特別」である一方、梨子にとっての「色あせた世界」である対比)ので、まだ結論は出せないわけですが……。