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好き放題に、「お酒を飲んだ勢いで」。 サークル活動、はじめました。「ここだけネバーランド」というサークルの主催です。 

STAND BY ME ドラえもん(八木竜一・山崎貴監督)

『ぼく桃太郎のなんなのさ』以来の『ドラえもん』夏映画。私が一番ショックなのは、この映画の客入りが結構いいってことだなあ。確かに春休みの東宝の目玉番組なんだから、それだけでちびっこたちの入りは期待できる作品になりましょう。でもこの映画は、どうやらメインターゲットは20代以降の大人らしいのだ。普段のドラえもんならば絶対に設けられることのないレイトショーの回も、本作には設けられていて、現に私の鑑賞した回は、カップルを中心とした大人がぞろぞろ。で、本作の宣伝は、『三丁目の夕日』の監督による泣けるドラえもん、という趣である。そして普段ドラえもんなんて鼻にもかけないような観客には泣けると大評判。これってつまり、ドラえもんが本来大人が見るに値しないジャリ番という認識が、広告代理店・観客にまかり通ったうえで成立している成功なんだよな。つまり「ドラ泣き」なるキャッチコピーを恥知らずに打つ宣伝ばかりか、この映画を見に来ている多くの大人の観客もドラえもんをバカにしているのだ。SF短編集はもちろん、子供向け漫画においてすら、人間の本質を突いた数々の鋭い視点を読者に与えてきた藤子・F・不二雄の著作群の大ファンとしてはおおいに悲しい限りである。

そして、当然大人向けに寄ってるから、ちびっこ置いてけぼりの内容になってるのも嫌だ。のび太のペシミズムが原作やアニメ以上に殊更強調されているってのは、私が子どもなら絶対見てるうちに「帰ろう」とか「寝ていい?」とか親に言っていたと思う。(それはF先生が原作で周到に避けようとしていたことだ) まあ帰れないプログラム、と道具を用いずに自立する、ってストーリーラインは骨子が整ってていいんだけど、こういう理詰めが鼻につくので、私が求めてる、魅力的な異世界にしたつづみさせてくれ、道具で冒険の窮地を切り抜け、おいしいものを食べ、旅の楽しさを存分に味わわせてくれ、終わりにはみんなの成長を感じさせてくれる“大長編ドラえもん”とは遠ざかってる気がするんだよなあ。

とはいえ、いいところはなくも無くて、原作当時の景観をそのままに再現されたのび太たちのくらす東京郊外の町並みは、さすがは『三丁目の夕日』を作った監督であると思いましたし、巨大な高層ビルと空飛ぶ車とチューブが町のあちこちを走ってる未来図もそのまま再現されたのは素晴らしいです。ドラえもんで再現するべき未来絵図としては大いに正しいです。あと、大人になったのび太ドラえもんを目の前にして「子どものころの友達だから、会わない」とのび太に告げる一瞬は、そういえば最近大長編ドラやアニメ版ドラを見るのをやめてしまった(=ドラえもんを卒業してしまった)自分と重なって、素直に落涙してしまった。まあ、いまだに時々原作は読み返すし、大長編も時どきなら見に行ってるし、この間の田村ゆかりさんゲスト回も見たけど、目的が読書や映画やゆかりんを見ることであっては「ドラえもんやいつもの4人と出会うためにドラえもんを見ている」とはいえない。やっぱりドラえもんは子供のものなのだ。そして、皮肉にもこのシーンは大人向けにつくってしまったこの作品の存在意義を問うているシーンとなってしまった。

しかし、この映画がF先生の著作が再評価される助けとなるなら、作られた甲斐もあったかもしれない。

あとは、ラストのNG集はやっぱりコミカルな音楽を流すべきだったと思う。しんみりしたバラードがバックでは、笑わせたいのか泣かせたいのかどっちつかずだし。あと、ドラえもんのキャラを象徴させるなら(80年代をあれだけ再現できているなら)、ネズミを見て発狂するドラえもんで笑わせるってシーンは、たとえ意味がなくても一か所は必要でしょうが。

 

とまあ悪口結構言ってしまったけど、この間の某公演の最悪さにくらべれば、なんと素晴らしいことか!久しぶりに大長編一気に見ようと思わせてくれただけで、よかったと思う次第。