Kokone-works

好き放題に、「お酒を飲んだ勢いで」。 サークル活動、はじめました。「ここだけネバーランド」というサークルの主催です。 

『君の名は。』はなぜ大ヒットしたのか?……じゃねーよ

「全国1万人規模の試写(舞台挨拶付き)を七夕に敢行したからです。」

 

 

以上。

 

 

……とまあ、これだけでは記事にならないので、以下罵詈雑言愚痴暴論を振りかざします。

 

 ってこういう記事ってたまたま目に飛び込んでの事故が多くてイライラするんですよ。クリックしてもやたらと「作風云々」「SNSが云々」ってところばかりでお話にならない記事だらけ。とりあえず何も知らない馬鹿をとびつかせようと何も知らない読者以下の馬鹿ライターが記事を書いてる状態。

 

 ちなみに僕が「試写やったからヒットした」と断言できるのは、『ハングオーバー 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』というアメリカで無名俳優に無名監督のコメディ映画(ちなみに近年のコメディでも最高に面白い部類です)が大ヒットした前例が挙げられるからです。

 まあ町山智浩氏とかも2009年当時ラジオでおっしゃっていたのですが、『ハングオーバー』はたいして宣伝費もなく、監督のギャラも%制だったなかを、アメリカ各地の大学で試写を敢行しまくって知名度を高めて大ヒットさせたという話です。

 もちろん作品自体の完成度の高さが前提とはなりますが、見てもらわねばハナシにならないわけで。ちなみに七夕に敢行された全国一斉試写直後の段階で『君の名は。』の作品評価はきわめて高かったです(filmarksでは公開日まで4点台をキープしてました)。

 その後も公開日までの2か月間、各地で試写を敢行し、見事に前売を(少なくともクリアファイル付きの3万枚は)売り切って公開日を迎えました。ある日いきなり宝くじの一等賞があたったわけではなく、まがりなりにもちゃんと伏線があったわけです。

 

 『聲の形』も一般向けのプレミア上映やMOVIX系列の劇場試写を刊行していましたし、『この世界の片隅に』はそもそもクラウドファウンディングの段階で相応の知名度があり、また東京国際映画祭や立川シネマシティなどの劇場側の猛烈なプッシュがありました。

 

 何が言いたいかって、作品云々の出来を論じるより、宣伝情勢の変化について論じるべきってことですよ。もちろん天下の大東宝の映画ですから、テレビスポットやシネコンロビーの広告だって集客に大きくかかわってるのは否定しません。

 

 しかし、アニプレ角川の作品にしてはめずらしく一般試写を敢行しまくった『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』の、深夜アニメ映画の規模では驚異的な、初登場1位・2月たらずで20億突破したって話を聞くにつれ、それで試写の成果が認めないというのはいくらなんでも怠惰にすぎると思うんですよ。『ガルパン』の口コミだって、ヒットの大元は立川や塚口に行ったヒトの言伝だし(ちなみに一時期しばらく発売と同時にweb予約で完売を記録しつづけた立川だって、公開日なんて開演直前に行っても買えたものです。『マッドマックス 怒りのデスロード』と同じ後発ヒットのパターン)。

 っていうか、完成度の高さのSNSによる口コミ云々を話題にだしたいなら、一般試写の機会が増えたことこそを話題にだしたっていい。

 そして試写の機会を増やせ。「本物の映画」なら「もう一度見せろ」ってなるはず。実際『君の名は。』だってリピーターが多いじゃない。『タイタニック』は?『指輪』は?『ハリポタ』は?ていうか宮崎駿映画は?『トトロ』や『ラピュタ』や『千と千尋』や『カリ城』を何十回とみてるやつはぜったい多数いる。それでも『カリ城』の2000円とられるMX4D版にお客さん入るし、『レッドタートル』公開直前の『千と千尋リバイバルなんて割引なしの一般料金にもかかわらず六本木と梅田では1週間の会期中全回完売の大盛況だった。15年前の映画が。

 おそらく僕も含めてお客さんは「保証」を求めてる。テレビドラマ映画が(どんなに悪質なものでも)ヒットしたのだってテレビドラマが面白かったって理由だろう。

 試写を多くの人間に見せることで、2度3度同じ映画を繰り返し見ることをオタクの所業から解放され「普通の文化」にだってできる。

 

 でも、それをやらないのって単にライターや編集者がバカだからでなくて、業界や癒着している紙面の意向もあるかもしれないのである。大衆を試写に招くことは、かれらの「優位性」――つまりは誰よりも早くタダで映画を見れる立場にある特権意識――を崩すことにほかならない。一般人に自分たちより早く作品を見られるのはそれ自体が「関係者」にとって屈辱侮辱なのである。

 

 だが、時代は変わったのである。だれもがブログに思い思いの感想を書ける時代。ライターや、人気女優と寝たいとか芸能プロにゴマスリしたいがための当たらぬ企画を通す関係者の存在意義が希薄になりつつある時代(金払ってみる一般人の記事とプロを名乗るライターの記事のレベルが変わらない、いや、それどころかプロが一般人に劣ることさえある。Yahooのトップに評論を乗せる、調べもせずに「一見さん」と恥ずかし気なく公言する渡まち子とかいう脳タリンババアや前田有一の右翼思想へ誘導する記事を見ればプロを名乗る人間のオツムのレベルがお分かりだろう)。

 

 っていうか、そういうウラの話しって一般人に一番さとられちゃいけないことなんだけど、もうすっかり当たり前化してて、向こうも(口封じ以外の方法での)浄化の素振りさえみせないからなあ。

 

 オーケー。もし試写関係なくSNSだけでのヒットが可能になったと全ての人間が自認するとしよう。そしたらこういうあまねくライター様やの存在が映画をヒットさせる要因たらしむるのだろうか。試写室で映画見てる奴の感想文と木戸銭払ってチケットを買う一般人との口コミの違いって何なのか?

 評論やプロの仕事というものに意味はあるのだろうか?

 

 試されているのはアニメ映画だけではない。いや、アニメ映画は十分に険しい通過儀礼を乗り越えた後なのです。

 僕は特権意識にまみれ適当な論旨を振りかざす多くの評論家や関係者に言ってやりたい。「君の名は?」

 

 いや~、まあ愚痴めいた記事になってしまったけど、だれもプロと一般人が作るものの違いを説明してくれないのはキツイっす。僕はおとなしく見たい映画の官製はがきで乞食したり、当たらないプレイガイドの抽選申し込みをやったり、前売買ったり予約購入したり、それでダメならインディーズの映画とかAVやアダルトアニメを見たり、それにも見限られたら別のフィールドに逃げていきます。